2014年5月17日土曜日

20140517 関西三空港問題に見る決められない政治

先日、あるライブ動画配信のソーシャルストリームにおいて伊丹の存廃を巡りるちょっとしたポジショントークがあったので、熟々と書いてみることにした。

いわゆる「伊丹は便利、関空は不便」という話であるが、これは発言者の在住地による部分が大きく寄与している部分があり、その視点から発言しているからに過ぎません。

在阪のマスメディア等でよく出るこの類いは主に伊丹があることに寄る恩恵を受けている人達の視点しかなく、それ以外の地域からの視点は完全に無視されていたりします。
悪い言い方をすれば地域エゴと表現される・・・。

この関西三空港問題はいわゆる環境問題を発している部分と伊丹存廃を巡る地域エゴと政治的なモノが絡み合った歴史の産物とも言えるわけですが、結局その議論自体が地元ではタブー化されたまま、今度は神戸沖に空港が出来てしまうという状況になってしまいました。

その長らく続いた状況に大阪府知事となった当時の橋下氏(本記事執筆時は大阪市長)が、このタブーを打ち破って「三空港問題の議論」をすることを打ち上げることになります。
当然、伊丹の存在によって恩恵を受けている側からは強い反発を受けることになったが、公共のモノと言うよりは「俺たちのための空港」的な視点に見えてしまうのはある種困ってしまうモノがあります。

この問題にしても本来デメリットを受容させてある種の覚悟を決めさせるのも政治の役目でありますが、それを放棄している時点で「決められない政治」だなと残念に思っている次第です。

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